フィリピンのイロイロにある田舎町、サンタバーバラにてオンライン日本語講師をしながらMushin Japanese cafeを経営しているTakaです。
今回はお金の話です。
私はお金を渡さない人
最近ようやく経済的にあまり困らない生活ができるようになってきました。
日本語講師の収入が65%、投資が30%、店が5%といった感じです。
前のようにビザを更新する日の早朝5時に起きて市内に行く必要もなくなりました。
前の日にホテルに泊まっておいしいものを食べて、次の日にのんびり更新することができるようになりました。
お金にある程度困らなくなっても、私はパートナーのRhaneさんに労働分以上のお金を渡したりはしません。
アメリカ人やオーストラリア人の人はパートナーに現金を渡す傾向があるそうですが、私はどうもそれができません。
私はRhaneさんが働ける場所を作って、彼女がそこで働いた対価を渡しています。
Mushinの仕事だけじゃなくて、今も続けているオンライン英会話の仕事も同じです。
働かないでお金をもらっても、その人のためにならないからと私は考えているからです。
彼女の可能性を高めることや、学習に関することなら投資するのは構いませんが、ただ与えることはしないようにしています。
日本でお金に困る暮らしをしていた
私は22歳の時に借金がありました。
高校は公立高校、大学は国立大学でしたが、両方とも奨学金とは名ばかりの学生ローンを借りていました。
卒業後には北海道在住だったことで車の購入は必須だったのですが、後先考えずにちょっといい車を購入してしまいました。
その結果、借金漬けの毎日です。
トータルの借金は
高校の時の奨学金 576,000円
大学の時の奨学金 3,960,000円
車のローン 1,200,000円
5,736,000円と、20代前半で約600万の借金をしてしまいました。
大学卒業後は、ずっと借金を返済することばかり考える生活を10年以上続けてきました。
仕事をしている間は借金返済のことを考え、
給料日はうれしくなるどころか、返済でお金がほとんどなくなることで逆にストレスに感じ、
月に支払わなくてはいけない借金を返済して、残り少ない銀行残高に悲しくなる暮らしをしていました。
結局、仕事の後にパチンコ屋に行く生活を3年くらい続け、600万のうち150万~200万はパチスロで返済しました。
借金を返済し、200万円に届かないくらいのお金をためてフィリピンにきました。
今から考えたらちょっと無謀ですね。
今のほうがお金はあるけど
今の私は日本にいたときよりもずっといい収入になりました。
けれども、めちゃくちゃうれしい、という気持ちはありません。
間違いなく10年かけて奨学金の借金をすべて返し終えたときの喜びのほうが大きいです。
「ようやく自由になれた」という気持ちが強くなり、涙を流したのを覚えています。
もしかしたら、長い時間締め付けられていた状況を、自分の力で解決したというのが私にとって大きな喜びになったのかもしれませんね。
今の私には締め付けがありませんから。
むしろ、私がRhaneさんやスタッフを締め付けているのかもしれません。
フィリピン人の給料・世帯収入
今回は自分のはなしやら、考え方やら、あまり読み手を意識していない文章になってしまいました。
最後に、フィリピン人の収入に関してです。
現実は厳しい。
ちょっと調べたらこんなデータがでてきました。
ひと月の給料が25,000ペソ、約6万円以下の人が80%をしめています。
50,000ペソ、13万円を超える人は人口の5%未満。
こんなデータもありました。
市長で207,978ペソ、約50万円超くらいでしょうか。
多くの人が政治家になりたい理由もよくわかります。
トップ画像にもあるとおり、フィリピンでは世帯収入が219,140ペソ、55万円くらいあればリッチな世帯であるとカテゴライズされるようです。
個人で50万稼ぐ人は人口の上位1パーセントになるようです。