フィリピンイロイロで悪戦苦闘している私。
前回は私のビジネスに賛同してくれるフィリピン人をどうにか見つけました。
これで少しずつ前進できそうです。
それとは別にいまだにパスポートがない私。
弁護士との共闘は続きます。
前回はこちら
たこ焼きリベンジ
12月の1日にたこ焼きをリベンジしました。
前回たこ焼きを焼いた記事はこちら
たこ焼きをもう一度販売したのには理由があります。
実は以前たこ焼きをアパート前で販売してから、町ですれ違う人に「次はいつやるのか」という声かけを3人の人からもらったからです。
もしかして、認知度は低いものの需要はアパート前でもあるのかもしれない、と思った私。
Josieと一緒にたこ焼きをまた販売することに決めました。
彼女がOJTということや、日曜日には平日よりも人が歩いていること、目の前の小さな教会に行く人もちらほらいる、との理由で日曜日に販売です。
たこ焼きのレベルは低くない、はず
先日WVSUに行った際、帰りにSMと呼ばれる大型ショッピングセンターに行き、その中にある「TAKUYAKI」とかいうパチモノのたこ焼きを購入してみました。
写真を見てわかる通り、よくあるフードコート内のスモールブースです。
フィリピン人の兄さんが一人でたこ焼きを販売していました。
私が注文をしたのにも関わらず、商品をすぐに渡さずに、スプーンを使ってたこ焼きをひっくり返している状況に戸惑う私。
私のスタッフの方が100倍以上愛想よく働きます。
さて、商品の方はというと…
なんだこれ。
本当においしくない。
こんなおいしくないものが4ピースで35ペソだそうです。
レベルが低くてよかった!!!
これならなんとでも太刀打ちできます。
より、効率化を目指してのたこ焼きづくり
前回話した通り、今回は事前に粉系の原材料をあらかじめブレンドして袋詰めしたものを用意しておきました。
ピッチャーも購入し、水のラインもつけておいたので、分量を量る必要が一切なくなりましs田。
また、キャベツ、ネギもカットをし、計量したうえで袋詰めです。
これにより、よりスムーズなたこ焼きづくりができます。
私の目標は、Josie一人ですべてがまかなえる状態を作ることです。
たこ焼きを作る
たこ焼きをトレイに入れる
調味料をかける
お金のやりとりをする
この動作がすべて一人でできれば文句なしの合格です。
だいぶん作業に慣れてきたJosie。
今回は70%の作業をJosie一人ですることができました。
慣れれば一人で全てまかなえそうです。
前回のカフェで私が地獄だったのは、5か月間毎日14時間労働を継続したこと。
今回は経験を活かし、できる限りスタッフが作業をし、私はなにもしないという環境を作ることを目指して進めていきます。
私は従業員が働きやすくなるための周囲の環境づくりに力を入れていきたいです。
そうすることで、周りが見える状態になるでしょうからね。
たこ焼き販売の結果は
結果から言うと、150個のたこやきを販売することができました。
3つで35ペソ(77円)、9つで90ペソ(200円)で販売しているのですが、売り上げは約1600ペソ、利益は約1400ペソでした。
おそらくですが、40パック程度売れたのではないかと思われます。
Josieに渡したお給料が300ペソなので、私の利益は1100ペソ(2300円)ほどになりました。
2回目でこの結果はかなりいい。
さすがにウエストビサヤのように120パックとはいきませんが、この悪いロケーションにしては大健闘なのは間違いありません。
販売時間は12時から4時半の4.5時間。
前回よりも相当いい結果です。
思わず私は彼女とハイタッチ。やったね!
彼女と相談した結果、とりあえずは様子見を兼ねて毎週日曜日ここで販売活動を行ってみようかと思っています。
働かないと完全に私は無職のダメ日本人ですからね。
Josieからは「なんでもっと長い時間売らないの?」と聞かれたので
「Josieが洗濯を早く終わらせて約束通りの時間に来ることができたら、もっと長く販売できたんだよ。今度は土曜日に洗濯をしてみるのはどう?」
と答えると照れ臭そうにしていました。
やれやれ。
応援メッセージ
最近、たまに応援のメッセージをいただいたり、私のサイトが紹介されていたりするのを見かけたりしました。
こんな私のサイトですが、家族以外にも見てくれている人がいるのは本当にうれしいです。
力が湧きます。
ごらんの通り、包み隠さずの私の状況を載せている次第です。
どうにかこうにかいい方向に進んでいけるように、この状況を変えていくために精一杯やっていきますね。
コメント
TAKAさん
はじめまして、ミンダナオ島はジェネラルサントス市の日系企業で働くものです。
セブで1年、ジェンサンに来て6年経ちます。
あるブログでTAKAさんのブログを紹介されていましたんで読んだところ、引き込まれて2日間で一気読みし、やっと『たこやきリベンジ』まで辿り着きましたw
いやぁ、日本の若者もフィリピンの地でこんなに頑張っている方も居るんだ、と感動を覚え拝読いたしました。
フィリピンで起業をするのにも大変なのに、韓国人オーナーの理不尽な言動に悩まされながら、よくぞ心身ご無事で学校から抜け出せたもんだ、と拍手したいくらいです。
ストリートフードビジネスは可能性有りそうですよね。
初期投資は少なく、並行展開もし易く、ローカルスタッフを教育し増やすことにより、拡大路線も取りやすい。
但し金の回収と、会社の目を盗んでコッソリというリスクをどう対処していくかが、今後のビジネス拡大のKFSになりそうですね。
今後ともTAKAさんの悪戦苦闘と頑張りを陰ながらお見守りいたします。
お身体に気を付けて頑張ってくださいね。
こんにちは。
今たまたまPCを開いて作業をしていました。
本当に本当にありがとうございます。
一時心がくたくたになりかけていたので、こんな状況でも私を応援してくれる人がいる、
という事実に今の私の心はとても励まされました。
どうにか、「このまま終わらずに絶対に巻き返す。」
「一緒に働いてくれるスタッフを経済的に幸せにして見せる」という気持ちを保っています。
今は小休止も兼ねていますが、毎日リスクを減らした状況の中でいい方法を探している最中です。
当面の目標は、
・パスポートを奪還する、
・合法的にビジネスをスタートすることの2点。
たこ焼きに関しては結果は出ているので、どうにか合法的にほかの日本のお祭り料理も含めてビジネスを行いたいです。
お金に関するご指摘していただいたリスク管理は、私もずっと気がかりにしているところです。
どうにかいい方法を探していくしかありませんね。
ありがとうございます!!
何回か、他の回のブログに投稿しましたが下記URLなどを参照してください
OPC(One Person Corporation)は不法就労の救いの神になるか(AEP取得)2019年7月21日、2019年9月20日追記
http://www.pasco-ph.com/?p=19815
この記事は私が滞在VISAを取得したPRA(フィリピン退職者公団)のマーケッターの記事です。フィリピンで働くためにはいろいろな規制があるはずです。
私もローカル企業で働いていますが私の就労で会社は20人のフィリピン人を雇用しなければいけません、
頑張ってくださいね、
コメントありがとうございます。
私の今後のヒントになる記事も載せていただき、大変感謝しています。
以前少し話題に出したのですが、不法就労を避けるためにも
観光ビザにて、語学学校にて英語を学習しながらののマネージャーという立ち位置を検討しています。
たこ焼き販売に関しては、最初のうちは私は経営者でもなく、従業員でもなく、
あくまでもアドバイザーとしてのポジションで時間を過ごす予定です。
ある程度の地盤ができてから、語学学校のマネージャー業を辞めると同時にAEPやVISAを取得も進めていけたら
できたらと今は漠然に考えています。
私のパスポートを現在も保有しているWE Academyのオーナーは、
2003年から2016年まで観光ビザでずっと学校を経営していたと私に自慢していたのを思い出しました。
私にはそんな勇気はありません。
というか、まずはパスポートを返してもらわないと…
引き続き頑張ります!
Takaさん、若い日本人の頑張りを見せてやってください。
VISAの件ですが、足元を掬われないようにしてください。フィリピンでは法制化されていても実施されていない法律が沢山あります。私のAEPも従来は簡単に更新できたのに今年は20人のフィリピン人採用が規則(本来はそうなんですが既に8年間何も言われませんでした)と急に言われ、更新が中断しています。ドテルテ政権も後半に入り各種規制が効いてきたようです。
アドバイザーでも所得があればDOLEのAEP管理対象になるし、BIRのTINナンバーで収入・納税が管理されるんでは?
もちろん地方にもよるようですが・・・笑
パスポートは出来れば一時帰国で再発行したほうが良いと思います。WE AcademyでもAgencyでもまともに管理していると思えません。他人に売っていることもありで・・
コメントありがとうございます。
昨日ようやく私の弁護士がエージェントの電話番号を知ることができた、と連絡がきました。
語学学校のフィリピン人マネージャーがずっと電話に出ず、
電話に出てもはっきりとしない受け答えだったようです。
「学校、エージェント含めて警察へのリポートの可能性がある」と弁護士が話したところやっと教えてそうです。
正直なところエージェントは真実ことができません。
パスポートの再発行も視野に入れた取り組みが本当に必要になるかもしれません。
今はこれまでと打って変わって田舎町で過ごしているのですが、
どうにか年末までにはよい結果になることを願い、自分ができることを取り組んでいきます。