フィリピンでビジネス2021 その48 ハロウィンのお休みに、ふと2年前を思い出す私

フィリピンのイロイロにある田舎町、サンタバーバラにてMushin Japanese cafeを経営しながら、オンライン講師としても働いているTakaです。

コロナ+フィリピンのお盆ということもあり、お客がほとんど来ない一日でした。

ですが、ふと2年前にサンタバーバラに引っ越してきたことを思い出しました。

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サンタバーバラに住んで、はや2年

私のフィリピン暮らしのおさらいをしるしていきます。

語学学校で英語を学びながら、マネージャーとしてガシガシ働き、一人で学校の収入の65パーセントを挙げていた私。

フィリピン暮らしは何とかなるかも、と思っていたところで学校のオーナーからカフェを経営数話をいただきました。

ビジネスは難しいことを学んだ私

2年前の2019年、10月31日に私は無理やり店をたたんで、語学学校から逃げ出すように今のサンタバーバラに移動してきました。

その理由は、韓国人語学学校のオーナーが家賃を20000ペソから60000ペソに値上げをしてきたからです。

当時の私はそこそこお金もあり、語学学校で実績を残したこともあり、フィリピンでもやっていけるのではと思っていました。

ですが、いざお店を始めてみると、非常に難しいことがわかりました。

さらにはオーナーが私に対してガシガシプレッシャーをかけてきたり、私がすることに制限をかけてしまい、やりたいことがあまりできませんでした。

売り上げを作るのも難しい上に、突然家賃を45000円から130000万円にあげられてしまい私はギブアップ。

仲の良い先生にお願いして、徹夜で荷造りをして、早朝4時に移動しました。

田舎暮らし

その後はしばらくサンタバーバラにて何もしない生活を送っていました。

弁護士と連絡を取り合い、没収されたパスポートを取り戻すための打ち合わせをしたり、

語学学校のオーナーから請求された法外な金額の減額交渉を行う日々です。

その後、高校でたこ焼き販売を始めたらかなりのヒット。

私一人で4時間たこ焼きを売るだけで、最低賃金5日分の収入を得ることができたのでした。

ですが、ここでパンデミック。

あれよあれよと学校は閉じてしまったのです。

それからというものの、現在に至るまで学校は閉鎖されたままです。

ロックダウンとパンデミックを生きる

ロックダウン生活でわたしと共にいてくれたのはJosieという私のスタッフでした。

状況が状況なだけあり、私たちは協力しながらどうにか時間を過ごしていました。

そして、その後彼女の家族の家に訪問し、ビジネスのことや将来のことを伝えたところ、彼女の家族から合意を得ることができたのです。

ロックダウンの後、Mushin Japanese cafeをスタートしました。

アパートのセキュリティガードにお金を盗まれ続けていた

働いた後はいつもビールを飲みに出かけていたのですが、どうにもいつも少額のお金が減っていることに気が付きました。

450円とか500円とか、そんな金額です。

友達のすすめもあり、カメラをセットしてみたところ、なんとアパートのセキュリティガードとして働いていた男が合いかぎを使って侵入。

私の部屋を物色してお金を盗んでいたのです。

私はそのことを、オーナーに伝えるものの、オーナーは1円たりとも私に対して補償をしないどころか、『私が満足なお給料を払わなかったから彼がこうなった』などという発言をしたことに心底がっかりしました。

さらにはなぜか私の部屋代だけほかの人よりも4000円程度高く設定されていたり、信じることが難しい状況がおきました。

その結果私はアパートを引っ越したのです。

私が失ったお金の総額は3か月間でおそらく60000円以上かと思われます。

オーナーは私を語学学校から逃がしてくれた信頼できるフィリピン人の先生です。

ですが彼女は彼女でお金をとんでもなく失っていました。

本来ならあたらしい語学学校をスタートする予定の彼女でしたが、コロ助の影響でお金を投資するだけ投資して、生徒を一人も受け入れれることができないのです。

損失額は現在時点ですでに1000万円以上。

3人がオーナーだったので、ひとりあたり300越え。

アパートの契約は5年。

契約が終わるころには一人当たり1000万円超の借金となるはずです。

彼女は彼女で追い詰められていたこともあり、私に対してゆとりある対応ができなったのでしょう。

Josieと家族にも騙されていた

アパートを引っ越して、さぁ頑張るかと思っていた矢先、信頼していたJosie というパートナーが私を最初からずっと騙していたことがわかりました。

私をキープしながら、実はずっと仲良くしているパートナーがいたのです。

彼女を追い出すにも、名義は彼女。

うまいこと弁護士などにも相談しながら進めていったのですが、最後の最後で彼女は本性を私に見せました。

家族を巻き込んで、私からできるだけ金をうばう作戦に出てきたのです。

公的オフィスに根拠のない嘘まみれの手紙を送り、彼女がいかに私からひどい目に合ったかを訴えていたのでした。

その後、私も陣営を整えて彼女と彼女の家族とバトル。

お金を支払ったものの彼女を追い出すことに成功しました。

その後は

Josieは私から盗んだレシピの一部を活用して、店を出さないと約束をしたのにもかかわらず、たこ焼き屋を姉とスタート。

しかし、姉とすぐに喧嘩。

姉もたこ焼き屋をスタートするというぐちゃぐちゃなことに成りました。

ですが、幸いにも彼女たちのたこ焼きは味がひどいため、私からいっとき離れていったお客も戻ってくれました。

現在でもJosieとその姉はたこ焼きを売っていますが、毎日ほとんど閑古鳥状態です。

ですが、Josieも姉も他にお金を手段がありません。

お客が来ない店で、毎日8時間無駄に時間を消化する日々を数か月継続しています。

私の復讐ではありませんが、彼女たちはたこ焼きを売り続けているうちは人生の貴重な時間を無駄に消化し続けることでしょう。

そして無駄にプライドが高いことから、簡単に店をたたむことはできません。

店をたたむイコール私に負けると考えているようですから…。

私としては、正直どうでもいいです。

自分もしんどい状況なので。

オンラインのお仕事を始めた私

私はわたしでRhaneさんというパートナーが今はいます。

彼女は不器用ですが、嘘をつきません。

私と衝突することが頻繁にありますが、時間をかけてでもお互いを理解しようとする人です。

最近はお店の売り上げは少ないですが、その代わり日本語を学びたい人が増えてきました。

この調子で働くことができるのなら、どうにかやっていけるかもしれません。

いろんなことがあったけど、

語学学校のオーナーにも

語学学校を始めようと思っていたアパートのオーナーにも

以前のパートナーにも

今は全く敵意はありません。

気にしていたら次のステップに行けないし、みんな生きるために必死ですからね。

最近はもし、フィリピンが観光客受け入れてくれたら、旧アパートのオーナーがやる気あるなら、日本人の生徒受け入れる手伝いできたらいいな、なんて考えているくらいです。

フィリピン暮らしはたのしいな。

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