フィリピン・イロイロにある田舎町、サンタバーバラにてMushin Japanese Cafeっていう日本食カフェをしながら日銭を稼いでいるTakaです。
私が住んでいるところは田舎町なのですが、あっという間にたこ焼き屋さんがバカバカできてしまったようで、私のモチベーションが下がってしまいました。
客がいないのに奪い合いが始まりました
ごらんの通り、小さな町なのに4店もたこ焼き屋ができてしまいました。
私がたこ焼き屋を始めてから1年でこれです。
右下の店が私、右上がJosie、そのすぐ左隣が最近できたチェーン店、そしてさらに左がTakotakoです。
コロナで経済が停滞しており、人々の消費行動が落ち込んでしまっており、わたしの売り上げも70%減なのに、こんなことになったらやってられないなぁ。
私の店にはまだラーメンとか餃子があるからどうにかできるかも、ですがそれでも私にとってはプラスにはなりません。
以前のミルクティ店乱立時と同じようなことが起こってます。
見た目が簡単だからフィリピン人でもできるって思う人が多いのかも。
全国的に人気なお店でもお客がいなくて死んでるのに、ぽっとでのたこ焼き屋が集客できるわけないのですが、それでも少ないパイを奪い合うのはフィリピン人の考え方らしい。
「多分なんとかなる」みたいに考えてるのかな。
Rainさんのお店がKioskになりました。
キオスクって日本人だけに通じると思っている人がいるかもしれませんが、実はそんなことはありません。
少なくてもフィリピンではKioskです。
数日前からRainさんの親戚がKioskづくりをしてくれていました。
というのも彼女は毎日1輪車にたくさんの荷物を入れて片道200メートルほど移動してTakoyakiを販売していたからです。
毎日毎日重労働です。
そんなわけで私が出資して(といっても1万円にも満たないですが)、彼女にKioskを作るように伝えました。
そして、5月の終わりまで私にはいつでもビールをご馳走するように約束してもらいました。
そして完成した日、外にKioskを移動させることになったのですが、大きくて外に出すことができませんでした。
しかたない(のかなぁ?)ので一時的にドアを外して外に出すことに。
そんなこんなでRainさんはKioskを持つことができるようになりましたとさ。
これまでのようにたくさんの荷物を持たなくても、道具を中に収納することができます。
屋根もあるので幾分楽に販売ができるはずです。
何より、お店を持っているのと持っていないのでは大きな違いですよね。
よかったね。
Rain、ファイトー!!
私に対して
「ビジネスの方法も教えてくれて、お店まで持たせてくれて、お金は全然請求しないし、Takaには本当に感謝しきれない」
なんて話してくれていました。
私としてはお金さえあればもっといいところに出店してもっと稼がせてあげられるのに申し訳ないって気持ちの方が大きい。
文句を言わず、白かった肌もこげ茶になり、汗を流しながら炎天下の中で働く彼女はなかなかタフです。
私の方こそすまんね、なんて気もちになりながらビールを飲み、大家族と共に雑魚寝で眠りにつく私です。
ここの人たちは塀の内側にいるときにはマスクをしない。
塀に囲まれた空間は特殊で、市内なのに市内ではない、完全自治区といった印象を受ける。
そういえば最近いきなり自分が教員だったころの夢を見た。
「2分遅刻してすみませんでした」って多くの人に謝っている夢。
こんなことあったかもしれない。
もっとフィリピンにいたいなー。