MUSHIN JAPANESE CAFE 2020 その27 フィリピン暮らしの振り返りと、今後について漠然と

フィリピン・イロイロの田舎町サンタバーバラで暮らしているTakaです。

今回は今後についてです。

フィリピンで暮らすということ

私は今フィリピンで暮らしていますが、今後も暮らしていけるならフィリピンで暮らしていこうと考えています。

フィリピンで暮らす方が私にはあっているからです。

ちょっとここで日本での暮らしについて触れます。

以前の私

日本で暮らしていた時は、私は正社員で勤務していましたが、手取りで13万5千円というひどい状況でした。

残業をしても、「決められた残業以外は残業代を発生させてはいけない」という決まりがあり、タイムカードを設置しないという管理者の強い意向のため、勤務時間に根拠を発生させるのが難しく、今思えばひどい会社だったと思います。

「他ではできない経験をお金を貰いながらできることをありがたく思え」

「残業代はありえない。これほどやりがいがある仕事なんだから、従業員が会社に金を払ってもらいたいくらいだ」

「生きていて恥ずかしくないのか、私ならとっくに首を吊っている」

すべて会社のトップから直接言われた言葉です。

私が受けた仕打ちは、他の職員にも同様でした。

ひどい会社だったのです。

そんなところの中堅職員でした。

また、私は大学卒業時に高校・大学と奨学金という名の学生ローンを組んでいたこともあり、さらには車がないと通勤すらできないような地域なので車を購入し、22歳で600万円の借金を背負っていました。

そんなぐちゃぐちゃな環境ということもあり、私は仕事の成果は上げていたのですが、仕事に関心をもてず、この大金をどうやって返済するかだけ考えて生きていたんです。

お給料を返済に充て、さらにはFXをやったり、パチンコをやったり、仕事の掛け持ちをしたりしながら10年で600万を返済しました。

ギャンブル系は研究するタイプなので、100万円超のお金をねん出することができたのはラッキーだったと思います。

そんな感じで、お金を返して、さらにお金をためて、仕事を辞めてフィリピンに来ました。

最初は語学学校の生徒として、そして語学学校のマネージャーとして。

2年後にはカフェを開き、悪戦苦闘しつつも管理者から月の支払いを5か月で4倍に上げられるという不条理な目にあい、田舎町に逃げました。

さらには相手の弁護士から「金を払わんと刑務所に入れる」と脅され、私も弁護士を雇い、どうにか折衷案を見つけ問題を片付け、今はコロナにも関わらず田舎で敗者復活戦をしています。

フィリピンで暮らすってこと

フィリピンに来る日本人の多くは夢をもち訪れます。

フィリピンという、物価の安いところで、語学を勉強する学生さんは、2か月くらい勉強もお酒も遊びもガンガンやって、充実して帰っていきます。

私の住んでいるイロイロには風俗地帯はほとんどありませんが、その他の地域で語学留学をする男性の学生の何割かは風俗やナイトクラブを通して、フィリピン人女性との時間を学んで、フィリピンに浸かっていくのは有名です。

私もセブに数週間滞在しているときに女性を侍らせて派手な遊びをする日本人の会社員や大学生くらいの集団を何度も見かけました。

お金さえあれば、思い通りになる国です。

短期で楽しむには最高の場所かもしれませんが、長期になればなるほど、そうもいかなくなってくるのです。

なぜかというと、彼らの多くは貯金を切り崩す生活をしているから。

その暮らしには限界があるからです。

そして、貯金を崩す生活や、年金で暮らしている男性は、「フィリピン人女性から働かなくてもお金を得ることができるお金持ちの外国人」と勘違いをされやすいです。

私はそうせずに、いつだってできるだけ自分でお金を自分で作っていくことを選びました。

そして、いつも一緒にいるJosieの目の前で、私がどれだけ苦労しながらお金を作り上げているのかを見せつけました。

さらには、彼女自身にも労働と対価を得る、という経験を1年以上してもらうことになりました。

今でも彼女は30度を超える中で私と汗を流しながら、たまにやけどをして、文句を言わずにたこ焼きを焼いています。

Josieついて

私は以前お金がなくて、自分の人生に希望を持てずにいたJosieに対して、

「お金は死んでもやらんけど、お前にどうやってお金を作るか教えてやる」

「俺のことが憎かろうが嫌いだろうが知らんけど、金を稼ぎたいなら仕事を通じてお前の生活を変えてやる。」

そんな会話をしたのを覚えています。

彼女は私に最初は文句を言っていましたが、結果的には最初のカフェの時から今に至るまでずっと一緒についてきてくれています。

最初は悪態ばかりついて、仕事もあまりできませんでした。

ですが今は私の話をしっかりと聞いてくれます。

彼女の私に対する態度も最初とは見違えるように変わっていきました。

私が今後フィリピンで生き残って暮らしていくには、おそらく彼女と結婚をして暮らしていくことが間違いない方法です。

そのことを彼女にも伝えたところ、彼女もそれを理解していたようですが、いかんせんそれを決めるのは彼女と彼女の家族。

どうなるかはわかりません。

とりあえず1日1日を大切にしながら生きている毎日です。

最近、ぽつぽつとフィリピンで暮らすことを考えている人、実際に暮らしている人から相談を受けることがあります。

私のブログは嘘や偽りはないので、それを読んでもらいながらフィリピンの現実について考える際の参考にしていただけたらと思います。

相談に関しても、私ができる範囲でお答えいたしますので、どうぞ連絡をくださいね。

フィリピン暮らし、楽しいですよ。

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コメント

  1. クラークTAKA より:

    いつも楽しく、多くを共感しながら閲覧させてもらっています!
    元々バコロドの語学学校で生徒からマネージャーになり今ではルソン島の学校に移動していますが、元バコロドのTAKAという名でスイーツ店をSMに出店していたりしたので非常に親近感を抱いてます。学校スタッフや自身で事業を抱えている点含め喜怒哀楽あるかと察します。
    今でもかなり似た状況ですので、お互いまだまだ踏ん張りましょう!

    • taka より:

      こんにちは。
      メッセージをありがとうございます。
      私と似たようなプロセスを経ているようですね。

      フィリピンは生徒として暮らすのは楽しく学び、楽しく飲んで満足できる場所ですが、
      暮らしていくとなると、さらには自分でお金を作るとなると
      途端に難易度が上がる国ですよね。

      私の住んでいる地域では、9月になってからコロナの影響からか、
      わたしのお店の売り上げが以前の半分以下の状況です。

      多くの地元の人が上に苦しみ、お米、調味料、最低限の野菜や肉など、
      できるだけお金をかけずに生活することを選択しているようです。

      このままだとこの国はどうなってしまうのでしょうかね。
      お互いそれでも前を向いていたいものですね。

      ありがとうございました!

  2. より:

    ご存じのように、在留日本人にもいるいろな人がいます。今やyoutubeで毎月数万ペソ稼ぐ人、我々のように十万~数万ペソ程度を日系企業で働いた年金をもらう人、ローカル企業で稼ぐ人、現地採用の日系企業で稼ぐ人、貴方のように自活で三十万~数万ペソ稼ぐ人、無職でローカルや日本人のお世話になる人等々・・・
    自活や起業家した日本人の将来の問題は収入分与でしょう。結婚はあくまで個人生活の計画で、得られた収入をどのように分配するのかが問題で、結婚生活が破綻した例が数多くあります。その収入が相手側家族・親族にどのように分配されるのかですが、結局相手はフィリピン人なのですよ!

    • taka より:

      コメントありがとうごいます。

      「結局相手はフィリピン人なのですよ!」
      この言葉が突き刺さります。
      人の気持ちはその人や、その周囲の達が置かれている環境でいくらでも
      変化しますよね。
      本当にその通りだと読んでいて改めて現実と向き合うことができました。

      フィリピンは私にとって観光で滞在するのと、生活基盤として暮らしていくのではあまりにも
      困難さが違う国です。
      特に私のように自分の力で経済基盤をどうにかしようとなるとその
      難易度は相当なものです。

      自分自身についてもう少し考えてみようかと思います。

      普段日本語を一切使わない暮らしをしているので
      日本語のメッセージを貰えたことがとても嬉しかったです。

      ありがとうございました。