フィリピンのイロイロにある田舎町、サンタバーバラでオンライン日本語講師をしながらMushin Japanese Cafe経営しているTakaです。
忙しい合間を縫って、日本で楽しんできました。
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今年も帰ることができました
9月の6日から18日まで日本で過ごしてきました。
2022年から毎年日本に行くことができていて、とてもうれしいです。
2022年の時にはどうにか帰国、という感じでしたが、2023年と今年は経済的にも、スケジュール管理的にも余裕をもってできてよかったです。
一生懸命に日本語講師をしてきてよかった。
2022年の時にはRhaneさんを一人にして帰国するのがとても心配でしたが、去年、今年はそれほど心配ではありませんでした。
特に今年はRhaneさんが一人で約2週間2店舗の管理をしてくれたので、本当に助かりました。
力が付いたものです。
今年はたくさん移動しました
金銭的にもだいぶんゆとりができたので、今回はたくさん移動しながら私の故郷である北海道に戻ることにしました。
こんな感じで移動しました。
成田から新宿に行きました
最初は成田について、そこから新宿に移動です。
空港の質がマニラ空港とは全く違います。
当たり前なんですが、
フィリピンとは全然ちがうなぁ。
と毎年思ってしまいます。
その後は新宿に移動しました。
ここはフィリピンとは違う意味でカオスでした。
たくさんの外国人、昼からいる日本人の若い路上売春婦、それらを購入する日本人男性たち、路上で寝る外国人や日本人。
24時間営業の居酒屋、虚構にしか見えないホストクラブなど、まさにカオスというか、チンドン屋がいるような印象です。
そしてアパホテルに宿泊。
3×5=15㎡という狭い部屋で、素泊まりなのに15000円という金額設定。
きれいなんですが、私にとっては高いです。
温泉もついていたので、1年ぶりに温泉に入れたのはよかったのですが。
夜は以前一緒に働いていた人が今は東京暮らしをしているようなので、久々に会って話してきました。
これは知人を待つことができずに、一人で飲んでいたときにとった写真です。
東京から京都に行きました
次の日は、新幹線で東京から京都に移動です。
新幹線に乗る前に、フィリピンで仲が良かった人がいるのですが、その人と新宿駅で合い、一緒にコーヒーを飲みました。
彼女は今私が支店をもっているウエストビサヤ大学の学生だった人で、日本語を一生懸命に勉強していたのです。
大学卒業後は大学で学生たちに日本語を教えていました。
私も1年間だけ彼女と一緒に大学の先生として働いていたのですが、その時にいろいろ助けてもらったこともあり、今も少しだけですが彼女のことをできる範囲で助けています。
今、彼女は数百倍の倍率を勝ち抜いて、奨学金をもらいながら日本の大学で勉強しています。
すごいですね。
来月から東京外大の大学院にいくようです。
かなり大変で、現実を突きつけられるでしょうが、どうにか生き抜いてもらいたいです。
その後は新幹線で京都へ移動。
朝から飲んで食べます。
京都からは福知山というあまり認知されていない町に移動しました。
私がフィリピンでお世話になった友人と会うためです。
彼のおかげで私はフィリピンで戦いながら生活することができたし、日本語講師という起死回生の道を見つけることができたし、ある程度の成功ができました。
私にとっては大切な人です。
福知山のホテルは素泊まりで7000円くらいでした。
アパホテルの倍以上の大きさですが、半額です。
田舎と東京を比べてはいけませんが、金額が大きく違います。
その後は彼と無事に合流してお互い記憶をなくすまで飲みました。
おそらく一人20はい以上のビールを飲んだと思います。
楽しかった。
天橋立にも行きました
次の日、彼からお誘いがあったことで、天橋立という場所にも行きました。
最初、名前を聞いてもよくわかっていなかったのですが、
天橋立「股のぞき」中、知人を15m転落させた男性
という事故をニュースで見たのを思い出しました。
こんな感じでリフトに乗って・・・
ここの景色を見てきました。
柵があるのでわかると思うのですが、かなり急な崖になっています。
この崖から人を悪ふざけで突き落としたようですが・・・私には悪ふざけでも絶対にできないような傾斜でした。
福井県に移動します
その後は福井県に移動しました。
ここにはRhaneさんの生徒の女性が住んでおり、私は今回彼女の家に泊まらせてもらうことになったのです。
ここでも駅弁を食べてお酒を飲みます。
夜7時くらいになりましたが、無事に彼女の家に到着。
息子さんと三人でお酒を飲みながら楽しい時間を過ごしました。
こんな感じで家の前には田んぼが広がっており、本当にのどかな田舎、という感じでした。
長生きしている人が多いと話していましたが、理解できます。
汚くてうるさくて、不健康な食べ物と排気ガスの中で生活するフィリピンとは大きな違いです。
私はその中で自分の好きなことだけして生きていたいから、そこで生活しているのですが。
北海道に移動しました
次の日は小松空港から千歳空港に移動です。
彼女の車で送っていただき、無事に空港に到着しました。
今回は寝る場所、食事、送迎、本当にたくさんのお世話になりました。
ありがたや。
牛肉うどんが一押しだったので食べてみました。
肉がおいしいのはわかるのですが、ねぎもおいしい。
当たり前ですが、フィリピンの野菜とはまったく違います。
千歳空港に無事到着して、私の幼馴染と合流。
一晩飲み明かしました。
フィリピンパブにも行きました。
左側の女性は「1988年の時に18歳だったから」と話していたので、現在53歳ですか。
若く見えましたが、よくよく話を聞くと現在も苦労しているようです。
まだ日本が共興ビザを発給していた年代の人ですね。
たくさんの若いフィリピン人女性が少ない情報を頼りに日本に来たのはいいものの、実際はパブで逃げられないような環境で働いた人も多かった、とう話はよく聞きます。
その後、アメリカから人身売買を疑われたこともあり、エンターティナーという名目で日本に入るのはできなくなったんですよね。
今は技能実習生という形ですが、今後はどうなることやら。
その後は私の家に移動し、1週間ほど滞在しました。
楽しい時間が過ごせて本当に良かった。
また来年が楽しみです。