フィリピン・イロイロ州サンタバーバラで、日本食カフェを経営しながら日本語教師としても活動しているTakaです。
彼女には、私と出会う以前から同棲している恋人がいたことが判明しました。
その事実を知った私は、一緒に続けてきたビジネスを解消したいと申し出ました。しかし返ってきた答えは、私がお金を支払い、さらにこの町から出て行くことを求めるという、想像もしなかったものでした。
Josieが提示してきた条件
アパートのオーナーと打ち合わせを行い、私の考えを伝えました。
私は、これまでの区切りとして20,000ペソ(当時約44,000円)を支払う用意があること、その条件で合意できないのであれば弁護士を交えて話し合うことになると伝え、その内容を書面にしてサインをしました。
しかし、Josieの返答は「NO」。
その後オーナーから聞かされた内容は、さらに驚くものでした。
彼女は私に40,000ペソ(当時約88,000円)を支払わせた上で、この町から出て行くことを要求しているというのです。
ここまで来ると、彼女だけではなく姉も含めて、お金を取れるだけ取ろうとしているように感じました。
具体的な法的根拠を示すのではなく、要求額だけがどんどん大きくなっていく印象でした。
現在抱えている3つの問題
当時の状況を整理すると、大きく分けて3つの問題がありました。
- オーナー権限の問題
- お金の問題
- 私の就労に関する問題
オーナー権限の問題
Josieは自分がお店のオーナーだと主張していました。
しかし実際には、取得していたのはバランガイクリアランスだけでした。
営業に必要なその他の手続きについては、私が何度も申請するようお願いしていましたが、結局行われませんでした。
さらに私自身は、もう彼女との将来を諦めていました。
結婚を前提に支えてきた相手だったからこそ協力してきましたが、その前提が崩れた以上、これ以上ビジネスを支える意思はありません。
そのことは本人だけでなく、周囲にもはっきり伝えました。
一方でアパートのオーナーからは、
「今後はJosieではなく、自分の息子名義でMushinを運営したい」
という提案もありました。
つまり、この時点でオーナー権限について話し合う相手は、私ではなくオーナー側になっていたのです。
さらに、バランガイオフィスの担当者からは、オーナーの協力があれば名義変更自体はそれほど難しくないという説明も受けました。
また、このとき一つ気になったこともありました。
Josieが取得していたバランガイクリアランスには、彼女自身の住所ではなく、同棲していた恋人の住所が記載されていたのです。
これが法的に問題になるのかどうかは私には判断できなかったため、弁護士のBangoy先生に確認する予定でした。
お金の問題
Josieは40,000ペソを支払うよう求めていました。
しかし、その金額の根拠が私にはよく分かりませんでした。
当時特に確認したかったのが、「13th Month Pay(13か月給与)」についてです。
フィリピンでは、一定の条件を満たす従業員に対して13か月給与が支払われる制度があります。
私たちのような小さな事業でも、その制度が適用されるのかどうかを弁護士に確認したいと考えていました。
さらに不思議だったのは、お店の名義上のオーナーはJosieであるにもかかわらず、そのお店を無償で手伝っていた私に対して、オーナー側がお金を請求しているという構図でした。
もし本当に従業員への支払い義務が発生するのであれば、JennyやKezzaへの支払いは誰が負担するのでしょうか。
そのあたりも法律上どう整理されるのか分からなかったため、専門家に相談するしかありませんでした。
また、それ以前のMushinはすでに閉店しています。
さらに、路上でたこ焼きを販売していた時期についても、Josieは13か月給与の対象として計算していました。
しかし、あの頃は正式なお店として登録していたわけではなく、生活費やお小遣いを稼ぐために販売していただけでした。
こうした期間まで対象になるのかどうかについても、確認が必要だと考えていました。
私の就労に関する問題
私の認識は次のようなものでした。
生活を支えたい女性がいたため、その人を支えながら一緒に生活していました。
しかし、彼女に別のパートナーがいたことが分かった以上、これ以上彼女のビジネスを手伝う理由も意思もありません。
そして今後は、アパートのオーナーの息子がお店を引き継ぐ予定であり、私は働くつもりもありません。
こうした状況が、フィリピンの法律上どのように判断されるのか。
それについても弁護士の意見を聞く予定でした。
また、Josieは「町から出て行くこと」が条件だと言っていました。
そのような要求に法的な強制力があるのかどうかについても、併せて確認するつもりでした。
外国人がフィリピンで生活し、ビジネスを行うことは決して簡単ではありません。
現地の人に頼れば裏切られる可能性もあります。
だからといって、お金を払ってすべてを解決できるわけでもありません。
結局のところ、外国人は制度的にも立場が弱く、自分自身で知識を身につけ、慎重に行動するしかないのだと痛感しました。
以前いただいたコメントの中に、
「外国人は、この国に住まわせてもらっているという気持ちを忘れてはいけない。」
という言葉がありました。
当時は悔しい気持ちもありましたが、今振り返ると、その言葉には大切な意味があったのだと思います。

コメント
判らない事①オーナー権とは何を意味しますか?店の名義ならばそのまま譲ればよいでしょう。新店舗名でオーナーと開店すればよいです。名義にこだわる必要はありません。 ②MushinのBrgy登録がされているようですが、店舗契約はJosieとオーナーですか?貴方ですか?
③13ヵ月サラリーは経営者(企業)が支払うものです。個人で契約書のない支払い責任は発生しません。当時、雇用契約書は発行しましたか?またはありますか?④貴方は書類上被雇用者です。どのような職種にも就く権利があります。条件としてはフィリピン法に準じていることです。⑤街から出てゆく・・まるで江戸所払いですね(笑)。時代がかっていますがBrgyキャプテンに聞いてみてください。そんなことがあるのか?
恋人、華僑・・貴方が生きるための正確な判断をしていないだけです。オーナーの営業7%は理不尽ではありません。一般は15~20%です。信用できる人は沢山います。まずは富裕層、そして一般的な中産階級、貧困層の教育熱心な人達・・貴方が知らないだけです。訳の分からないK国人は論外ですが・・・笑
コメントありがとうございます。
コメントありがとうございます。
ご指摘いただいた点については、今回弁護士事務所で確認してきました。
結論から言うと、私が想像していた通り、お金を支払う義務はなく、町を出ていく必要もないとのことでした。
改めて感じたのは、この国で外国人として生活していくには、法律だけではなく、地域の有力者や信頼できる人たちとの良い関係を築くことも大切だということです。
困ったときに相談できる人がいることは、本当に心強いと実感しました。
ずっとブログ拝見しており、陰ながら応援しておりました。
なぜ少ない売上なのにフィリピンでの商売に固執するのかが理解できなかったのですが、最近の更新でようやく理由がわかりました。
Josieとの結婚・商売継続がもう無理ならば早々に撤退した方が良いのでは?と思います。
月収4〜5万円程度(推定です)で無理して異国にいる必要性があるとは思えないし、どうしてもフィリピンがいいなら、その時間を日本でバイトでもして、資金に余裕を持たせてから再チャレンジした方が成功する可能性が高いと思います。
どちらにせよ応援してます‼︎
コメントありがとうございます。
どうにか、お互いが納得できる一つの区切りを迎えることができました。
当時の私は、日本から遠く離れたフィリピンの田舎で、大切な人と力を合わせながら暮らし、二人で少しずつ未来を築いていくことに大きなやりがいを感じていました。
ただ、今振り返ると、その思いが先行するあまり、現実を冷静に見ることができていなかった部分もあったのだと思います。
この経験を通して、人との信頼関係やビジネスとの向き合い方など、多くのことを学ぶ機会になりました。
昨日からは、またいつも通りたこ焼きを焼いています。
これからもトラブルはいろいろあると思いますが、一つひとつ乗り越えながら、このフィリピンでの暮らしを楽しんでいけたらと思っています。
温かいコメントをありがとうございました。
誤解しないでください。日本でも営業権はあり、その保護の為に保健所や企業登録の義務がありその為に手続き代を支払います。貴方の言うショバ代はフィリピン法では貴方が事業登録できない(外国人は企業登録できず、出来る場合もその投資資本はフィリピン人と共同で50%以下でなければならない)ので、フィリピンでの営業登録を代理でしてくれるので当然の権利です。ショバ代ではなく正規の登録料です。富裕層と繋がらなくても貧困層の軒下を借りての営業でもこれは商売の常識ですよ!
見たところ四十代前後のようですが税金対策として、TINコードを持っていますね!
Josieにはその知恵がないでしょうが、貴方の営業での儲けに対しては税金を払わなくてはいけません。それを訴えられたら収監されますよ。
他国に来て自分勝手な振る舞いは許されないのです。いかに後進国でも・・・
おはようございます。
いつも温かいアドバイスをありがとうございます。
今回の件については、どうにか双方が納得できる形で一区切りつけることができました。
振り返ると、多くの方に支えられながら乗り越えることができた出来事だったと感じています。
そして、この経験を通して改めて感じたのは、外国人としてフィリピンで生活させてもらっているという意識を忘れてはいけないということです。
これからも現地の文化や人との関わりを大切にしながら、一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。